憧憬都市

2012年5月14日 (月)

ビリニュス(憧憬都市 15)

「北のフィレンツェ」、「バロックの町」などと呼ばれている、リトアニアの首都ビリニュスは、起源が10世紀に遡りますが、1323年に、時のリトアニア大公ゲディミナスがこの地を首都に定め、その後1387年にはキリスト教に改宗し、西欧へ目を向けるようになりました。

ビリニュスという名は、波状(リトアニア語で「波」は「ビリニス」と言う)の丘陵地に位置していたことからきているらしいのですが、とにかくこの町がこれまで東ヨーロッパ諸国に対して文化・建築面で大きな影響を与えてきたことは事実です。

14世紀末に誕生したリトアニア=ポーランド王国という連合国家の都であったこの町は、中世都市のご多分にもれず、周りを市壁で囲まれ、10の城門が設けられていたそうですが、16世紀にルネサンス様式で造られた曙の門は、上部にこの国の紋章である白い騎馬像が施されている、現存する唯一の門です。

バロック様式の建造物の多いこの町にあって、唯一のゴシック様式の教会堂である聖アンナ聖堂は、14世紀初頭に創建され、16世紀に改築されたもので、赤レンガ造りのその美しい外観はひときわ目を引きます。

聖ペテロ・パウロ大聖堂は典型的なバロック様式で建てられた、「バロックの町」ビリニュスを代表する建築物ですが、聖カシミーロ聖堂は、17世紀初頭にバロック様式で建てられた後、19世紀に改めて新古典主義様式でファサード等をデザインされた、淡いピンク色の優美な教会堂です。

この町の旧市街(世界文化遺産)の中心であるカテドゥロス広場(旧ゲディミナス広場)には、ビリニュス大聖堂鐘塔がありますが、13世紀半ばに創建されたこの大聖堂はゴシック、ルネサンス、バロックと三つの様式を変遷した後に、18世紀後半に、ドーリス式円柱を持つ新古典主義様式で改築されました。

また高さ53mの鐘塔は、その土台に13世紀の城壁の一部を利用していて、この町の古い歴史を感じさせてくれます。

現在見られるビリニュスの歴史的建造物の多くは、17世紀後半以降にバロック様式で建てられたものですが、宗教施設の種類は数多く、カトリック、プロテスタント、ロシア正教、そしてユダヤ教のシナゴーグと、歴史に翻弄され続けたこの町らしく、多様です。

ロシアやドイツといった大国のはざまにあって苦難の道を歩み、ようやく独立を果たしたリトアニアという国の首都ビリニュスは、今、豊かな緑に包まれた、多彩な歴史的建築物を有する美観で訪れる人々を魅了しています。

ビリニュス観光(英語)

2012年5月 6日 (日)

タリン(憧憬都市 14)

エストニアの首都であるタリンの歴史地区(旧市街)は、その密集した建物や細く曲がりくねった道などで、典型的な中世ヨーロッパの街並みを形成していますが、この町の起源は13世紀前半に遡ります。

1219年、デンマーク軍は大挙、フィンランド湾に面したエストニア北部に上陸し、この地を征服して要塞都市を築きましたが、エストニア語で「デンマーク人の城」を意味する「タリン」という語はこの時生まれました。

この歴史的都市は、トーンペアの丘(山の手)と、その麓の地域(下町)の二つのエリアに大別できます。

トーンペアの丘には、デンマーク軍が築いたトーンペア城(現在の建物は18世紀後半に再建されたもの)があり、エストニア政庁及び議事堂として使用されていますが、中でも「のっぽのヘルマン」という愛称で親しまれている15世紀の塔は有名です。

またこの丘の上には、エストニア最古の大聖堂や、アレクサンドル・ネフスキー聖堂(ロシア正教、1901年)、そしてタリン旧市街や港を一望できる見晴らしの良い展望台などがあります。

一方、その麓に開けた下町地区は、この町が1285年にハンザ同盟に加盟した後に、バルト海の重要な交易地点として発展するのと歩調を合わせるかのように、ハンザ商人の町として発展していった区域なのですが、当時の繁栄を彷彿させるような趣のある建物が多く残っています。

このエリアの中心部にあるラエコヤ広場は、旧市庁舎(1404年)をはじめとする古めかしい建物で取り囲まれ、市民の憩いの場所になっています。

そしてその南側と北側には、それぞれ聖ニコラウス聖堂(ニグリステ教会)と聖オレフ聖堂(オレビステ教会)という二つの重要な教会堂(どちらも「タリン派」による独特の建築スタイルで建てられている)がありますが、特に後者は、一時はその塔が北ヨーロッパで最高の高さを誇っていた、タリンのランドマークの一つともなっている端正な聖堂です。

いまだに町の三方を堅固な城壁で囲まれている、タリンの美しい旧市街(世界文化遺産)は、ハンザ同盟都市として繁栄した往時の面影を色濃く残し、その独特の北欧的雰囲気とともにビジターを魅了していますが、私個人としても、以前、タリンを訪れた学友が会心の笑みを浮かべつつ、「タリン、イイっすよ~」と言っていたのが印象に残っています。

タリン観光

2012年4月27日 (金)

トゥルク(憧憬都市 13)

フィンランドの南西部にあるトゥルク(ツルク)は、アウラ川の河口に発達したこの国最古の都市です。

前面に数多くの小島があり、スウェーデンとフィンランドを結ぶ地点に位置するこの町は、1229年に、時のローマ法王が司教座を置いたことに端を発していて、その後約600年の長きにわたってこの国の首都であり続けました。

ナポレオン戦争後、フィンランドがロシア領となった1812年に首都はヘルシンキに移されましたが、現在でもこの国の重要な文化・経済の中心地となっています。

トゥルクはマーケット広場を中心として端正な街並みを形成していますが、主な観光スポットの多くは、この町の母なる川とも言うべきアウラ川の周辺にあります。

トゥルク大聖堂は、この町のシンボルとも言えるもので、その塔のユニークで美しいデザインはひときわ目を引くものがあります。

また、町の中心部から少し離れたところにあるトゥルク城は、13世紀後半に築かれたもので、城としてこの国で最大の規模を持ち、内部が歴史博物館となっています。

トゥルクには、トゥルク美術館をはじめとするいくつかのミュージアムがありますが、その中でもシベリウス博物館は、フィンランド最大の作曲家の自筆楽譜や遺品、そして各種民族楽器などを展示している、見逃しがたい場所です。

年間を通して様々なイベントが開催されているアルノ川のほとりは、普段はトゥルク市民たちの格好の散策コースとなっています。

トゥルクのビデオ

トゥルク観光(英語)

2012年4月16日 (月)

トロンヘイム(憧憬都市 12)

トロンヘイムは、ノルウェーの西海岸中部に位置し、オスロ、ベルゲンに次ぐこの国第三の都市です。

ニド川の曲流部に、998年にオラフ王によって創建され、ニダロス(ニドの河口という意味)と呼ばれ、13世紀まではノルウェーの首都でした。

この町最大の見どころは、北欧で一番美しい教会堂と言われているニダロス大聖堂(トロンヘイム大聖堂)です。

ノルウェーがキリスト教化するのに多大な貢献をした聖オラフという聖人が埋葬された地に建てられたこの聖堂は、長いこと北欧における重要な巡礼地であり、また歴代のノルウェー国王の戴冠式もここで執り行われていました。

1070年に造られて以来、1327年、1531年、1708年そして1719年という度重なる火災に遭い、そのたびに修復、改修されてきましたが、一番新しい改修は1869年に始まり、2001年に終わりました。

ノルウェーの歴史と宗教史について多くのことを物語ってくれるこのニダロス大聖堂は、ロマネスクとゴシックが入り混じった建築様式になっていますが、内部にある二つの大オルガンやノルウェー王の王冠、そして20世紀に作られた美しいステンド・グラスなどが観る者を魅了してくれます。

また、トロンヘイムには17~19世紀の美しい木造建築物も残されていて、大聖堂やフィヨルド観光と合わせて旅行者を惹きつけています。

壮麗なニダロス大聖堂のあるこの由緒正しき町は、美しい景観に恵まれた、ノルウェー屈指の観光地であり、北欧で最も私の心を惹きつけてくれている古都の一つになっています。

トロンヘイム観光(英語)

トロンヘイム写真集

2012年4月 9日 (月)

オデッサ(憧憬都市 11)

ウクライナの南西部、黒海北岸に位置するオデッサは、この国の黒海岸で最大の貿易港を持つ港湾都市です。

古代ギリシアの植民都市オデッソスが付近にあったことから「オデッサ」と名付けられたこの町は、古くから海上交通の要地であり、ウクライナの小麦の輸出港としても重要でした。

オデッサという名を世界的に有名にしているのが、港のすぐそばにあるポチョムキンの階段です。

この階段は全部で192段あり、上からは10ある踊り場しか見えず、下からは階段しか見えないというユニークなものですが、1905年に戦艦ポチョムキン号の水兵たちが反乱を起こし、続いて市民たちも暴動を起こしたため、ロシア当局が力で鎮圧しようとし、この階段が血で染まったことは有名です。

そしてこの事件をもとにエイゼンシュタイン監督が作った『戦艦ポチョムキン』(1925)の階段シーンは映画史上に残る名場面となっています。

いつぞや私も実際に映画館でこの作品を見たことがあるのですが、赤ちゃんを乗せたベビーカーがひとりでに階段をくだっていくシーンはとりわけ印象に残っています。

この町で一番有名な通りがプリモルスキー並木通りで、この黒海を見下ろす高台に延びている大通りの周辺には、ロシア古典様式のボロンツォフ宮殿や市庁舎などの美しい建築物があり、いわゆる都市美が感じられます。

またイタリア・ルネサンス様式で建てられたオペラ・バレエ劇場も有名で、その正面にはグリンカ、プーシキン、そしてゴーゴリ等の胸像があります。

オデッサは、第二次世界大戦中の1941年秋に、ドイツ軍の包囲を69日間持ちこたえ、「英雄都市」の称号を受けましたが、平和を取り戻して久しい今日では、温暖な気候とプラタナスの並木に包まれたこの美しい町は、リゾート地としても人気が高く、四季を通じて各国から観光客を惹きつけています。

オデッサの階段シーン(『戦艦ポチョムキン』より)

オデッサのビデオ

オデッサ観光(英語)

2012年3月30日 (金)

ヨーク(憧憬都市 10)

ヨークの歴史はイングランドの歴史」などと言われるほど、イギリスにおいてこの都市はロンドン等と並んで古い歴史を有しています。

ローマ時代に起源をもつこの城塞都市は、いまだに12~14世紀に築かれた城壁に取り囲まれていますが、その中核的存在となっているのがこの町のシンボルとも言うべきヨーク・ミンスター(ヨーク大聖堂)です。

この聖堂は、約250年という歳月をかけて1472年に完成したイギリスでも屈指の大きさと豪華さを誇るゴシック式の寺院で、そのバラ窓やステンドグラスの美しさでも有名です。

ヨークは古くから北部イングランドの中心都市であり、すでに7世紀には南のカンタベリーに対する北部司教管区の首都であり、8世紀にはヨーロッパの学問の中心地となり、その後はイングランド北部の宗教、学術、政治、商工業、そして交通のかなめとして重要な役割を担ってきています。

町を取り囲んでいる堅固な城壁は、その上を散策することも可能で、各所に趣ある門(ミクル・ゲート・バーが一番有名)が設けられています。

1270年にヘンリー3世によって築かれた要塞であるクリフォーズ・タワーは、かつてのヨーク城で、小高い丘の上に建つ、いかにも堅牢な印象を与える建築物です。

またシャンブルズという石畳の小路があるのですが、これはこの町で最も古く、また最も有名な通りで、細い道の両側に、上階に行くにつれ軒がせり出しているユニークな木造の家々が連なっています。

カフェやレストラン、ブティックや美術工芸品の店等が入居しているようですが、そのイングランドらしい独特のシックな趣は、他のヨーロッパ諸国では味わえないものでしょう。

ヨークには、ヨーヴィック・ヴァイキング・センターやヨーク・キャッスル博物館、そしてヨークシャー博物館といった、いくつかのミュージアムがありますが、なんといっても忘れてはならないのが、国内最大規模を誇る国立鉄道博物館です。

鉄道ファンにとってはまさに垂涎の的であろうこのミュージアムには、世界各国から集められた名列車たちが一堂に会しています。

蒸気機関車の世界最高速度である時速203kmを記録した、鉄道発祥の地イギリスの誇るマラード号を始め、私もロンドンからパリまで乗ったことのあるイギリスの国際列車ユーロスターや、JR西日本から寄贈された、あの親しみやすい団子っ鼻の0系新幹線なども展示されています。

ロンドンから列車で約2時間という利便さも手伝って、この北部イングランドの古都ヨークは多くの観光客の訪れる人気の高い都市となっています。

ヨークのビデオ

ヨーク観光(英語)

2012年3月22日 (木)

レーゲンスブルク(憧憬都市 9)

ドイツの多くの主要都市の中心部は、周知のように、第二次世界大戦中の連合軍の空爆で甚大なダメージを受けましたが、奇跡的に戦禍を免れた古都もあります。

レーゲンスブルクもその一つで、この古代ローマ時代に起源をもつ都市の美しい旧市街は、世界文化遺産にも登録されていて、貴重な中世的佇まいを今に伝えています。

ドナウ川南部に開けたこの町は、もともと2世紀にドナウ川とレーゲン川の合流点に設けられたローマ軍の駐屯地だったのですが、後には司教座が置かれ、フランク王国治下でボヘミア方面へのキリスト教布教の基地となりました。

その後、1245年に神聖ローマ帝国支配下で帝国自由都市となり、商人たちが台頭し、北ヨーロッパとベネチアをつなぐ交易で富を蓄えていきました。

富裕な商人たちによって、1135年から1146年にかけて造られた、330mの長さをもつシュタイネルネ橋という石橋は、この町が北ヨーロッパとベネチアを結ぶ重要な交易地点として繁栄するのに多大な貢献をしましたが、この石橋建造の偉業はそれ以後のヨーロッパの橋梁建築に大きな影響を与え、各地でコピーが造られたほどでした。

レーゲンスブルクのランドマークとして第一に挙げられるのが、1634年に完成した聖ペテロ大聖堂です(ただし、高さ105mの尖塔は1869年に完成)。

この司教区教会は、南ドイツはバイエルン地方を代表するゴシック様式の壮麗な大聖堂で、その美しいステンドグラスは必見です。

また千年以上の長きにわたって称賛され続けているレーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊の「天使の歌声」も有名です。

ちなみに、私が持っている「野ばら/庭の千草」というCDの中に含まれている四つの歌(『菩提樹』『ウェルナーの野ばら』『モーツァルトの子守歌』『ブラームスの子守歌』)は、この聖歌隊が歌っていますが、いかにもドイツ的雰囲気に満ちた、なかなかきれいな歌声だと思いました。

さらにレーゲンスブルクは、名画『アレクサンドロス大王の戦い』(1529)で名高い、ドイツ・ルネサンス期の画家、アルトドルファー(1480~1538)が活躍した町でもあります。

見どころとしてはこの他、14世紀に造られて、1663年~1806年に神聖ローマ帝国議会が開かれていた帝国議会博物館(旧市庁舎)や塔をもつ邸宅跡(塔は貴族の勢力誇示の手段)等がありますが、細く曲がりくねった石畳の路や全体としてレンガ色の屋根を持つその落ち着いた古雅な趣のある街並みは、世界中から多くの観光客を惹きつけています。

レーゲンスブルク観光(英語)

2012年3月16日 (金)

シエナ(憧憬都市 8)

陽光が輝き、ブドウやオリーブ畑などの緑の丘が広がるイタリア中西部のトスカーナ地方には、フィレンツェ、シエナ、ピサといった古くから栄えた有名な古都が数多く存在しますが、これらの中でも特に、かねてから私の心を惹きつけている町がシエナです。

この都市には、ランドマークとも言えるものがいくつかあるのですが、その筆頭に挙げられるのはやはり、「世界一美しい広場」と称されるカンポ広場でしょう。

一般に、中世の都市における広場というのは、あらゆる面で市民生活の中心的な場所であり、様々な行事が催されていましたが、このカンポ広場で毎年7月2日と8月16日に開かれるパリオ祭り(地区対抗の競馬競技)も、その名残の一つです。

扇形に傾斜して広がり、九つの白い石の線で区切られたこの広場(1347年に完成)に面して、有名なマンジャの塔のそびえるゴシック様式のプブリコ宮殿(市庁舎)がその美しい姿を呈しています。

そしてこの建物と向かい合うようにして広場のもう一方に、ガイア(歓喜)の泉があります。

これは、1348年にこの噴水の除幕式が行われた際に、待望の水が噴き出した瞬間、人々が歓喜の声をあげたためにこの名が付けられたそうです。

またカンポ広場と並んでこの町の代表的なランドマークとなっているのが、イタリアで最も美しいゴシック式聖堂と言われているシエナ大聖堂です。

全体として茶色い家並みで占められているこの古都の中にあって、大聖堂の白亜の姿はよく目立ち、その美しく荘厳な姿はシエナの人々の誇りであり、心の拠り所ともなっています。

基本的に、内外ともに白と暗緑色の大理石を用いた横縞模様の施されたデザインになっているのですが、「聖母戴冠」のモザイク画の正面装飾を持つファサードを始めとする美しい外観もさることながら、私が特にすばらしいと感じているのが、聖堂内部の床面の装飾です。

色とりどりの石を用いた象嵌細工を施されたその床面は、白と暗緑色の横縞模様の角柱の美々しさとあいまって、他のヨーロッパ諸国の聖堂には見られないユニークな風合いを醸し出しています。

ところで、古くは同じトスカーナ地方の中心地でありライバルでもあったフィレンツェ(後にはこの都市のほうがはるかに優勢となる)とシエナとは、どちらもその商業中心地としての繁栄を謳歌した14世紀ごろ、絵画の分野において二つの異なる流派を生み出しました。

科学的、合理的な造形性をその特徴とする「フィレンツェ派」と、情緒的な図解性と装飾性が特徴の「シエナ派」がその二つだったのですが、私は後者の「シエナ派」のほうにより強い魅力を感じています。

ドゥッチオから始まり、シモーネ・マルティーニに代表され、ロレンツェッティ兄弟等を経てソドマあたりで終わる、甘美な情緒性と装飾性を特色とするこの派の絵を見ていると、何かしら心が癒されるような気がします。

今でもこの世に生を受けた瞬間から、中世の教区に由来する17のコントラーダ(小地区)の一員となるシエナ市民の愛する町、そして多くの石畳の坂と小路、歴史的記念物や美術作品等を有するシエナという小都市は、これからも、その美しい中世的佇まいゆえに、世界中から多くの観光客を惹きつけてやまないことでしょう。

シエナのビデオ(ユネスコ世界遺産センター)

2012年3月 6日 (火)

イスファハン(憧憬都市 7)

イランの中部に位置するイスファハンは、かつて「世界の半分」などと謳われ、今では「イランの真珠」という異名を持つ、この国で最も美しいと言われている古都です。

イランという国は、初めてオリエント世界を統一したアケメネス朝ペルシアから、ササン朝ペルシア、そしてこのイスファハン(「軍隊のいる場所」という意味)が首都として定められペルシア文化の大輪の花が咲いたサファヴィー朝を経て今日に至るまでの輝かしい歴史を有しています。

サファビー朝ペルシアの中でも最も栄えたのが、今から約400年前のアッバース一世(在位1588~1629)の時代で、首都イスファハンを中心としてまさに百花繚乱のイスラム文化が花開きました。

その栄華の面影を今に色濃く残しているこの都市の中心的存在が、世界文化遺産にもなっているイマーム広場で(「イマーム」とは「イスラム教シーア派の最高指導者」の意味)、華麗な装飾が施された名高い二つのモスクと宮殿に囲まれています。

南北510メートル、東西163メートルの長方形のこの広場は、周囲を二層構造の回廊(土産物店が入っている)に囲まれていますが、南端にはイマーム・モスク、東側にはシェイク・ロトフォラー・モスク、そして西側にはアル・カプ宮殿が位置しています。

ここでいろいろな言葉を用いて説明するよりも、この広場の写真をご覧になられた方がその素晴らしさが一目瞭然なのでしょうが、とにかく美しい噴水池のある中庭をその中心に配した趣ある風情は、まさに「イランの真珠」の中心にふさわしい美観を呈しています。

青と瑠璃色を主体とし、「男性のモスク」と呼ばれるイマーム・モスクに対し、シェイク・ロトフォラー・モスクは黄色を主体とし、その小ぶりな姿から「女性のモスク」と呼ばれていますが、どちらも鮮やかな青色のタイルが輝き、鍾乳石を模した美しい天井を持つイーワーンを有しています。

イマーム広場では、かつてポロ競技等が行われ、それを王族たちがアル・カプ宮殿の屋根付きテラスから観覧していたと言われていますが、今、この美しい広場は市民の憩いの場所となり、その華麗な建物群だけがいにしえの栄華を物語っています。

イスファハンで世界文化遺産に登録されているのは、今のところこのイマーム広場だけですが、この古都には他にもまだ見所はたくさんあります。

例えば、この広場の北側から旧市街に向けて続いている古い歴史を有するバザール(市場)や、華麗な金曜モスク、そしてこの町を悠々と流れるザーヤンデ川にかかる美しいハジュー橋などです。

イスラム教の経典であるコーランの中で書かれている「永遠の楽園」を現出したようなイマーム広場を中心とする古都イスファハンは、サファヴィー朝ペルシアの栄華の夢を今に物語ってくれている、貴重なオアシス都市なのです。

イスファハンのビデオ(ユネスコ世界遺産センター)

http://mooweex.com/isfahan-geometry-on-a-human-scale/

2012年3月 1日 (木)

アグラ(憧憬都市 6)

インドの北にある首都デリーから、南へ列車で約2時間のところに位置するアグラは、現在タージ・マハル、アグラ城、そしてファテープル・シークリーという三つの世界文化遺産を持つ観光都市として知られています。

インド・イスラム建築を代表するタージ・マハル(「マハルの冠」という意味)は、インドに出現したイスラム国家、ムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、若くして亡くなった愛妃ムムターズ・マハルの霊を慰めるために、22年の歳月を費やして1654年に完成した、まさに夢のように美しい白亜の霊廟です。

四隅に美しいミナレット(尖塔)を有する白大理石造りの廟墓は、そのシンメトリックな佇まいから感じられる美とともに、建物の表面に貴石で象嵌された、イスラム文字や植物をモチーフとした優美な文様で鑑賞者を魅了します。

また、内部の墓室には、ムムターズ・マハル(「宮廷の選ばれし者」という意味)の棺と並んで、それよりひとまわり大きなシャー・ジャハーンの棺(ただし、どちらも模棺で本物は地下にある)が安置されています。

これらの棺の表面に色とりどりの貴石で象嵌された文様は、人物や動物等の偶像崇拝を禁ずるイスラム教の習わしに従って、主として植物をモチーフとしているようですが、何とも魅惑的な曲線美が感じられます。

私にとっては、タージ・マハルの建物自体の優美な姿もさることながら、このイスラム的な文様の美にも強く惹かれるものがあります。

それは、キリスト教美術や仏教美術にはあまり見られないシンプルで洗練された美しさであり、しかも同じイスラム建築の白眉とみなされている、スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿の、過剰なほど精緻きわまりない印象を与える装飾美とも違って、いわば親しみやすさすら感じられます。

シャー・ジャハーン帝は自分亡き後、ヤムナー川をはさんだ対岸にこの美しい白亜の廟墓とまったく同じデザインで、今度は黒大理石でみずからの霊廟を造営する心づもりだったようですが、晩年の父親をアグラ城に幽閉した息子のアウラングゼーブ帝はその意思をかなえようとはしませんでした。

幽閉されたシャー・ジャハーンは、ヤムナー川沿いのアグラ城の一室から、東に2キロ離れたところにある愛妃の眠る白亜の廟墓を来る日も来る日も眺めて過ごしていたということです。

「シャー・ジャハーン帝の涙の結晶」という異名をもつこの美しい霊廟は、そんなエピソードがあると知って眺めると、見る者の目に、なにかしら哀切なアピールすら呈しているように思えてきます。

アグラにはこの他にも、赤砂岩造りのアグラ城(レッド・フォートとも言う)や、ファテープル・シークリーといった、インド・イスラム建築の粋を集めたような建造物がありますが、それらはみな、あのムガール帝国最盛期に造営されたもので、亡き帝国の栄華の夢を今に物語ってくれているようです。

アグラ観光(英語)

タージ・マハルのビデオ(ユネスコ世界遺産センター)

レッド・フォートのビデオ(ユネスコ世界遺産センター)

ファテープル・シークリーのビデオ(ユネスコ世界遺産センター)

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