書籍・雑誌

2012年5月18日 (金)

『ニコライ堂小史』―ロシア正教受容150年をたどる―   長縄光男著

タイトルが『ニコライ堂小史』とはなっていますが、決してあの有名なニコライ堂という建築物そのものの歴史ではなく、サブタイトルにあるように、ほとんど我が国におけるロシア正教の生成から今日に至る経緯を扱っています。


なぜこの本を読む気になったかと言えば、先日、久しぶりにニコライ堂を訪れ、あらためてそのエキゾチックな姿に魅了され、この建物について少し詳しく知りたいという欲求を抱いたからです。

ニコライ堂という聖堂は、私にとってはかねてから結構なじみ深いものでした。

中学生だった時、美術で夏休みの課題として出された写生の題材としてこのニコライ堂を選びましたが、写生している一中学生のスケッチブックをわざわざ立ち止って覗き込んでくれた人がいたことを懐かしく思い出します。

また、かつてここにはニコライ学院というロシア語を教える各種学校が付設されていて、その夏期講習等にも参加したことがあり、学生時代の懐かしいメモリーとなっています。

さて、この本ですが、全部で64ぺージという、かなり薄めの、どちらかと言えば冊子に近いような体裁をしていて、その分量もさることながら、内容的にも割と分かりやすい筆致で綴られており、短時間で読破することができました。

約3分の2が、日本におけるロシア正教である「日本ハリストス正教会」の最初の布教者となってその発展に尽力したニコライ大主教(1836~1912)について述べられています。

中部ロシアの寒村に下級聖職者の子として生を受け、長じて「正教弘布」の志を抱いて来日し、50年の長きに渡ってたゆまぬ布教活動を続けたニコライの生涯が、かなり詳しく述べられています。

と同時に、他のキリスト教諸派(カトリックとプロテスタント)のわが国における布教の軌跡も述べられていて、なかなか有益かつ興味深い内容となっています。

概してキリスト教は日本ではあまり根付かなかったのですが、著者はその原因として日本人の宗教一般に対する無関心さを挙げていて、言われてみれば確かにそれも与かるところ大であると感じた次第です。

また、ニコライの創設した神学校(もちろん今は存在しません)が、その本来の目的である正教会の優れた聖職者養成という大義名分から逸れて、ロシア語の翻訳や通訳、さらにはロシア研究の分野で多くの逸材(例えばロシア文学作品の翻訳における昇曙夢)を育んでいったエピソードなどがうまくまとめられていて興味深く読めました。

そしてロシア革命や関東大震災という不運に見舞われ、日本においては他のキリスト教宗派よりもはるかに数奇な命運をたどらざるを得なかったロシア正教の歩みが、説得力に満ちた筆致で書かれていて読む者を惹き付けます。

現在のニコライ堂が、オリジナルのバージョン(1891年)ではなく、改築された第二バージョン(1929年)であることは知っていたのですが、今見られる聖堂が、関東大震災(1923年)後にいかなる過程を経て再建されたかが、当時の世相をバックに詳しく語られていますが、ニコライ大主教なきあとのリーダーであったセルギイ大主教の献金集めの際の苦労話等が挿入されていて、今何気なく見ているニコライ堂が建立されるのには様々な人々の大変な努力が要されたことが分かり、いちだんと価値の高い建築物に思われてきました。

手軽に読める薄めの本で、先にも述べたように聖堂そのものについての解説はほとんどありませんが、ニコライ堂関係の他のいくつかの著作もある著者の蘊蓄の深さがうかがわれる好著で、この本を読めば、ニコライ堂というこの東洋でも稀有のビザンチン建築の傑作を見る目がまた変わり、より深く味わえるようになるかもしれません。

『ニコライ堂小史』

2012年2月28日 (火)

「まんがで読破」シリーズ

先日、久しぶりに地元の書店に立ち寄り(大体において、書籍や雑誌はアマゾンで購入する場合が多い)、あれこれと物色していたのですが、ふと目にとまったのが今回お話しする「まんがで読破」シリーズでした。

ズラッとカラフルに並んだ背表紙群の中から、カバーに描かれている漫画の雰囲気から良さそうだと思って選んだのは、「千夜一夜物語」「椿姫」「ユリシーズ」「カラマーゾフの兄弟」の4冊でした。

購入した翌々日から2日間で全冊一気に読んでしまったのですが、ハッキリ申しましてこれらは買って正解でした!

以下、舌足らずながら各冊についてコメントしてみたいと思います。



「千夜一夜物語」

有名な「アラジン…」「アリババ…」「シンドバッド…」の3つは載っていませんが、ここに含まれている8つの物語はいずれも興味深いものばかりで、このうち私が知っていたものは「空飛ぶ黒檀の木馬の物語」のみでした。

「シェハラザードと王のはじまりの物語」から始まって「大団円」で終わる、漫画によるこの「アラビアン・ナイト」は、プロットの流れがごく自然に感じられ、また画にそこそこエロさも加味されていて、この中東の神秘的で奇想天外な古典の雰囲気をよく伝えてくれていると思います。

一番印象に残ったのが「床屋と紺屋の物語」で、人間の本性を十二分ににえぐり出していると同時に、哀感すら感じさせられる一編だと思いました。

以前は「アラビアン・ナイト」といえば、まずその魔法めいたおとぎ話的なイメージを強く抱いていたのですが、このたびこの本に接してみて、改めてその高い価値を認めざるを得ませんでした。

人間や社会に対する強いリアリズムを基盤としながらも、そこから何かしら有用な教訓を示し、さらにはイスラム教的な幾分夢幻的な夢や希望をも盛り込んでいるようなこの説話集を、このようなコンパクトにまとまった本で手軽に読めたのは、ラッキーだったと思います。



「椿姫」

この名作は、以前5つのバージョン(岩波文庫、光文社古典新訳文庫、オペラのビデオ、別の漫画本、そして英語の朗読CD)で観賞していて、わりとよく理解していると思っていたのですが、今回このコミックで読んでみるとまた新たな感興を催しました。

まず、ほんのわずかながら脚色されている(出来栄えがなかなか良いと思います)とは言うものの、限りなく原作に忠実に構成されているところが気に入りました。

当然、かなりの省略を施しているのでしょうが、終始一貫、この可憐で哀切な香気あふれる、いかにもフランスらしい古典作品を見事に「料理」していると思います。

最後のほうのマルグリットが息を引き取る場面では思わず涙腺が緩みかけたほどで、今度読んだ4冊の本の中では一番感動させられましたが、ここまで劇画が心に迫ってくるとは、当初は夢にも思いませんでした(欲を言えば、キャラクターのオメメがもう少し小さいといいかも)。



「ユリシーズ」

ジョイスの他の有名な作品である、「ダブリン市民」「若き芸術家の肖像」については既に読んでいましたが、この大長編に関しては、ちょっと気になってはいたものの、いわば手つかずの状態でした。

この有名作品のアウトラインだけでも知っておきたいと思って購入したのですが、読了してみて「ユリシーズ」の精髄のようなものに触れられたような気がしたというだけでも、それ以上の収穫があったようです。

20世紀初頭の、まだイギリスから独立する前のアイルランドの首都ダブリンで、たった一日という時間の中で、一人の勤め人とその周辺の人々に起こる出来事を描いたこの小説は、まともに通読すればかなりの日数がかかると思われますが、今回私はこの小説内の顛末をまさに一日(正確には数時間)で概観することができ、ちょっと得をしたような気分になっている次第です。



「カラマーゾフの兄弟」

ドストエフスキーの作品は、ずっと以前から割とたくさん読んできた方だと思いますが、この長編に関しては内容的にもほとんど把握していませんでした。

というのも、キリスト教的な知識がある程度、否、かなりないとほとんど消化できないのではないかという懸念もありまして、どうもとっつきにくかったわけですが、このたびこのバージョンで読んでみて、意外に女っ気もあり、読む気で読むなら結構スムーズに興味深く読み進めていける作品ではないかと思うようになりました。

以前、ソ連時代に製作された映画「カラマーゾフの兄弟」をYOUTUBEで断片的に見たことがありますが、この本を読む限り、二人の主要な女性キャラクターであるグルシェンカとカテリーナに関して言わせてもらえば、グルシェンカのほうはまあよいとしても、カテリーナについてはややミスキャストな感を否めません。

私も、このコミックで表現されているカテリーナのほうが原作における彼女の雰囲気をよく伝えているような気がします。

またアリョーシャの純真性には心惹かれるものがありますし、イリューシャの屈辱感もよくわかります。

親殺しの真犯人・・・ まさかの人でした!

という具合に、読み進めていけばいくほど面白く奥の深いこの傑作小説の醍醐味を満喫させていただきました。



まだ4冊しか読んでいませんが、古今の古典的文学作品を魅力的な画とともにうまくまとめあげたこのシリーズは、なかなかのスグレモノではないかと思います。

2012年2月 3日 (金)

プルースト 読書の喜び [著]保苅瑞穂

もう一冊、プルーストに関する書を読んでみました。

著者の保苅氏は、プルースト研究で著名な仏文学者であり、また名文家としても知られていますが、この本は彼にとってことのほか思い入れのあるプルーストの諸作品、なかんずく『失われた時を求めて』について、自ら愛好する名場面を選び、それらを丹念に読み解いていくという、ほとんどエッセーといってもいいような風合いで書かれています。

私にとってありがたかったのは、先日ご紹介した鈴木氏の『プルーストを読む』という新書の中で取り上げられているさわりの個所と、この本のそれとがほとんど重なっていなかったという点でした。

鈴木氏が、素人の私から見てもいかにもさわりの部分であるとおぼしき部分を取り上げて、それらにわかりやすい説明を加えているのに対し、保苅氏は、必ずしもそのような性質を持たない、ほとんど枝葉とも思われるようなくだりにも言及しています。

しかしそれらのくだりは、著者である保苅氏が特に愛着を持っている部分であり、またそれらの絵解きが、この大長編小説を読んでいく上でなにかと役に立つであろうと思われるような箇所ばかりです。

鈴木氏の著書と保苅氏のそれとを、なにかと比較してしまうのですが、前者が手軽に読める好個のプルースト入門書だとすれば、後者は、読むのにやや根気を要する、奥の深い名エッセイといったところでしょうか。

前者には、作品の理解を助けるいくつかの図版や年譜が付いているのに対して、後者にはそのようなものは一切ありません。

それだけに後者のほうが、最初は少しとっつきにくく読みにくい印象を与えるのですが、読み進めていくうちに、著者のプルーストに対することのほか強い思い入れ、また文学のみならず、音楽、美術、哲学等に関するその蘊蓄の深さも手伝って、いつのまにかその広く深遠なプルーストの世界に引き込まれていきます。

必ずしも読んでいて気分が良くなるような箇所ばかりが取り上げられているわけではなく、特に主人公の祖母の臨終の場面など、相当リアルに描かれているくだりも出てきて、この小説の多面性をまざまざと感じさせられます。

鈴木氏の著書が、『失われた時を求めて』という壮大な作品の、見ごたえ抜群のハイライトの部分を手際良く紹介してくれているとすれば、保苅氏のそれは、しっかり舞台裏の様子までくまなく映し出してくれている、といった感じです。

しかしそれだけに、後者のほうが作品を文学的な専門性によってかなり深く掘り下げている感があり(フランス語の文法事項や、フーコー等の哲学的考察も時折登場してきます)、この長編の相貌を深く理解するのに格好の読み物になりうる要素を多分に含んでいます。

とくに終局の、ゲルマント大公夫妻の邸宅で催されるマチネの場で、登場人物たちがその老醜をさらす箇所と、主人公のそれについての感慨、そして物語を創造しようという決意等を描いたくだりとそれについての著者の卓越した解説は、鈴木氏の著書には見られないものであり、まさにこのエッセイを読む醍醐味が集約されているとも言えるでしょう。

著者である保苅氏は2008年からパリに移住していて、このエッセイも我が国からははるかかなたの、かの地で物されたものです。

著者の『失われた時を求めて』という不滅の傑作に対する並々ならぬ愛着とその深い理解と相まって、この書は、読者すべてに、あのパリの美しい樹木の葉むらの蔭からそっと降り注いでくる、ほの明るい木漏れ日のような、やさしく美しい感慨をもたらしてくれそうです。

2012年1月28日 (土)

プルーストを読む―『失われた時を求めて』の世界 [著]鈴木道彦

「失われた時を求めて」という、人口に膾炙したタイトルを持つこの小説は、私にとってそのあまりの長さのために、かねてから近づきがたいものになっていましたが、ついに導きの手が差し出されました!

アマゾンのウェブページでたまたま見つけたこの新書、つい先日、約半年という長い中断ののちに、不消化気味ながら何とか読み終えた、サルトルの初期の代表作「嘔吐」の訳者である鈴木氏の著書ということもあって、なんとなく親しみを覚え、即購入しました。

著者は、あの長大な「失われた時を求めて」の全訳を成し遂げた、プルースト研究者として国際的にも高い評価を得ているフランス文学者であり、その深い蘊蓄とこなれた文章で、この名高い長編小説の世界へ、私をごく自然に、易々と導いてくれました。

もちろん著者自身の訳文による、さわりの部分と思しきパラグラフを適宜差し挟みつつ、この作品を読み解く鍵ともいえる諸概念が、わかりやすく解説されています。

解説といっても、それはまま見られるような堅苦しさを伴わず、おおむね小説の流れに沿って、プルースト自身の境遇や当時の社会情勢などを背景に、キーワードが平易に把握できるような筆致で書かれています。

その中でも、とりわけ私が興味深いと感じたものの中に、「無意識的記憶」と「隠喩」の項があります。

熱い紅茶とマドレーヌが出されて、そのマドレーヌの一片を口にしたとたんに、何かしら過去の良き思い出(幼少のころに食したマドレーヌにまつわるもの)が徐々によみがえってくる、というくだりは、「無意識的記憶」の代表例として、この小説の中でも特に有名な個所らしいのですが、誰にとってもいかにも起こりうるようなことだと思い、親近感を覚えました。

また、「隠喩」の例として、バルコニーに映し出される手すりの模様の影を、生ける植物に譬え、その太陽光によるさまざまな様相と見え隠れする様子を、みずからの恋人のおぼろな影に重ね合わせるくだりなど、ほんとうに詩情に満ちていて、惹きこまれました。

この他にも、スノブや同性愛、さらには読書論等、今日の私たちにとってもなかなか興味深い問題についてのプルーストの慧眼が随所に窺われ、なかなか有意義な書であると思います。

私自身は、このようにコンパクトに要領よくまとまったプルースト入門書に接したおかげで、良くも悪くも全巻読破するというような気はほとんど消失し、おおかた(自己)満足している次第なのですが、もちろん殊勝な向きには、僭越ながら、鈴木氏同様、この世界文学史に燦然と輝く大部の傑作(ただし、作者の早世により未完に終わった)を読了されることをお勧めします。

付言すれば、若き日のサルトルもプルーストの諸作品を愛読し、多大な影響を受けていて、「『嘔吐』はプルーストのパロディだ」と言い切る人もいるそうです。

2012年1月20日 (金)

中国の五大小説(下) [著]井波律子

有名な小説なので、いつか一度は読んでみたいけれど、そのあまりの長さに圧倒されて、なかなか読めずにいる、そんな文学作品を、誰しも一つや二つ思い浮かべることができるのではないでしょうか。

私も、そんな作品をいくつか挙げることができますが、今までは大体、映画化されたものを観たり、短縮されたバージョンで読んだりして、一応事足れり、としてきました。

「中国の五大小説」(どの作品も相当な長さを有する)のうち、「西遊記」は年少の頃から、あの孫悟空の活躍するお話として親しんできましたし、「三国志演義」は、去年完結した、小前亮氏の書いた、ジュニア向け(もちろん成人も十分楽しめる)の「三国志」を堪能したばかりでした。

ところが、他の「水滸伝」「金瓶梅」「紅楼夢」の三作品については、それらに関するほんのわずかばかりの知識を持っていたばかりで、ほとんど手つかずの状態でした。

中国の古典文化、とりわけ文学に少なからぬ興味を抱く私としては、この作品群にいかにしてアプローチすべきか、いささか気になるところでした。

2009年に上梓された、この「中国の五大小説(下)」は、私にとって、いわば「渡りに船」ともいうべきものでした。

この本は、(上)と(下)の二巻本になっていて、(下)のほうに前述した三作品が収められています。

どの作品についても、著者の中国文学に関する深い蘊蓄が十分生かされていて、その流麗な文章と相まって、読者にこの傑作群のエッセンスをわかりやすく伝えてくれます。

また、処々に各作品の、いわゆる「さわり」のような部分が、著者自身の訳文で掲載されていて、私のような、各条件を考慮しても通読することのほとんど不可能な読み手にとっては、特にありがたいサービスとなっています。

この本を熟読すれば、三作品の各アウトラインが把握でき、今後余力があれば是非通読してみたいと思うようになるほど、魅力的な古典としてのイメージを植え付けられそうです。

ただ、私自身としては、前述しましたように、あまりにも長い大長編小説については、映画やダイジェスト版で一応よしとする性向なので、これら三作品についても、この好著に書かれている内容で、まずは満足できました。

中国文学の古典の中には、これら「五大小説」のほかにも、「西廂記」「琵琶記」「長生殿伝奇」「桃花扇」のような戯曲、「今古奇観」「儒林外史」といった長編小説がありますが、どの作品も、一般の日本人にとっては、少しとっつきにくいものとなっているようです。

これらの作品についても、将来、この本のような好個の入門書が現れてくれるといいと思います。

『中国の五大小説(下)』

2012年1月11日 (水)

ペンギン・リーダーズ

いきなり洋書の話になるとは、われながら唐突だと思うのですが、職掌がら、英語の本には日常よく接しています。

とはいえ、私の場合、それら洋書は大概、自分の英語トレーニングのための手段ないし道具として利用しています。

以前は、果敢にもジョイスやヴァージニア・ウルフ等の小説の原書を、辞書を引き引き読んでいたのですが、偉大な作家の書いた文章は、ご多分にもれず、やはり個性的で癖がある。

日本で生まれ育った私に、微妙な英文のニュアンスなど解せるのだろうかと思いつつ、少しずつ読み進めていくのが常でした。

ペンギン・リーダーズには、ごぞんじのように、古今東西(主として欧米文学)の傑作をやさしく書き直した(リトールドした)ものが多いのですが、これが英語学習者にとっては、なかなか有用です。

多少なりとも古典文学に関心のある、いったん英語から離れていた方々にもお勧めできます(もっとも読む前に、簡単な英文法のおさらいをされたほうがいいとは思いますが)。

語彙が制限されている分、基本語や基本熟語が随所に繰り返し出てくるので、否応なくそれらが記憶に残ります。

私が最近読んだのは、ディケンズの「二都物語」(A Tale of Two Cities)です。

愛するルーシーの夫の身代わりとなって断頭台に上るカートンの最後の言葉はひとしお感動を呼びます。

It is a far, far better thing that I do than I have ever done; it is a far, far better rest that I go to than I have ever known.

原文のプロットをかなり的確に把握しつつ、楽しみながら、感動しながら、読み進めていける、ペンギン・リーダーズ・シリーズは、英語学習者にとっては、好個の教材と言えるでしょう。

ほかにも、これと似た性格を持つ学習用リーダー本として、オックスフォード・ブックウァームズ・シリーズやマクミラン・リーダーズ・シリーズがあり、いずれもクラシックな文学作品をリトールドしたものが多く含まれていますが、どちらのシリーズも挿絵が多いのが特徴です。

いずれにせよ、自分の語学レベルに合ったものを選んで、速読ないし精読してみるといいと思います(ちなみに私は、まずざっと一通り、細部を気にせず一読したうえで、精読するという学習方法を取っています)。

ペンギン・リーダーズ(日本版)