2018年10月16日 (火)

黒いコートの女

黒いコートの女

 

 

あの夜 わたしは

図書館からの帰途

駅に向かって歩いていた

 

途中 陸橋を渡った

 

快い夜風が吹き渡っていた

 

突然 下方を

黒いコートに身を包んだ すらりとした若い女性が

つかつかと通り過ぎて行った

 

後姿をこちらに見せて

 

つまり わたしたちは あの瞬間

上と下とで 交差したのである

 

ちらと見ただけだったが

夜の闇に抱かれた あの端正でシックな姿が

時たま わが心象に浮かび上がるのは なぜだろう

 

これは 二十年以上も前の出来事である

 

これは 東京都北区の一点で起こった出来事である

 

これは 二度と繰り返されることのない出来事である

 

そして

これは わたしという一個人の内面世界で展開する

永遠の詩的イメージである

 

 

2018年10月16日

2018年10月10日 (水)

序曲

序曲

 

 

夕暮れ時

古びた壁ぎわを歩いていた

 

と 映画会の案内とおぼしき

小さなポスターが貼ってある

 

○月○日 ○時○分より

○公民館にて M…を上映します

 

M…

 

戦後まもなく撮られた

あの有名な反戦映画

 

ガラス戸越しのキス

戦争で引き裂かれた恋…

 

かつて図書館で鑑賞したこの古いモノクロの邦画には

余韻嫋嫋たるものがあった

 

このポスターを見て 幾人かが

○月○日 ○時○分 ○公民館にやって来て

M…を観るだろう

 

そして そのうちの幾人かが

忘れがたい感動を覚えるだろう

 

今 夕日に照り映えている

このささやかなポスターは

貴重な感動を呼び起こす序曲となるに違いない

 

 

2018年10月10日

2018年10月 2日 (火)

予感

予感

 

 

小雨そぼ降る物寂しい昼下がり

 

駅前に 広大なさら地が広がっている

 

人っ子一人いない無言のさら地

 

どんよりとした灰色の空の下

おぼつかない地平線が霞んで見える

 

将来ここに 大規模団地ができるらしい

 

高層住宅が林立した暁には

この茫漠とした光景は一変するだろう

 

晴れた日には

日陰と日向がくっきりするだろう

 

緑の木々が生い茂り

さまざまな人々が行き交うだろう

 

芝生にはつつましやかな花々が咲くに違いない

 

夜は照明灯がきらめき

無数の窓から光が放たれるだろう

 

そして

住民たちの喜怒哀楽に縁どられたドラマが

繰り広げられるのだ

 

今ここは のっぺらぼうな砂地に過ぎないが

そのころには

きれいな書き割り付きの舞台となっているだろう

2018年10月2日

2018年8月25日 (土)

夜景

夜景

 

 

深夜

風景をよぎっていった

 

仕事帰りの夜

原付に乗って

微風を感じながら

 

交差点

青信号

家々の灯

 

対向車のヘッドライト

 

人影

あいまいな容貌

古びた看板

 

ファミレスから漏れ来る光は

まばゆいばかり

 

あの店の中で

どんな会話が交わされていたことか

 

深夜の県道は暗く静かで

ミステリアスな香気がした

 

わたしは夜の風景をよぎっていた

心地よい微風を感じながら

 

 

2018年8月25日

2018年7月28日 (土)

幻のレストラン

幻のレストラン

 

エマヌエル・バッハの曲にのせて作った小品

 

冬の真昼

 

曇った出窓のガラスが

外の寒気を暗示する

 

アンティーク調の

瀟洒なインテリア

 

天井から吊り下がったランプは

淡い五彩を放ち

 

薄暗い店内に

神秘な光を投げかける

 

オーダーした料理は

忘却の彼方に葬り去られ

 

あの昼時の喧騒が

かすかに聞こえ来るのみ

 

それから程なくして

レストランは消滅した

 

まれにみる美観を誇った

ロマネスクな邸宅風の料理店

 

わが胸に残る

ほのかな冬の日のメモリー

 

 

2018年7月28日

2018年6月26日 (火)

風鈴

風鈴

 

 

あんみつを賞味していたのだった

 

亀戸天神のすぐそばにある老舗和菓子店で

 

ふと目を上げると

うすぼんやりとした窓の向こうで

風鈴がゆらめいている

 

ちりりんという音もなく

風のまにまにほの揺れるその姿

 

窓ガラスを隔てた外で舌(ぜつ)を動かしている

音無き風鈴もまた一興

 

食するあんみつに

さらなる美味を加えてくれる

 

また夏がやって来た

 

今年もあの風鈴は

店の軒先に吊り下がっているだろうか

 

客の目と舌を楽しませているだろうか

 

日本の夏を感じさせる

あの可愛らしくてノスタルジックな釣鐘は

 

 

2018年6月26日

2018年6月14日 (木)

クローバー

クローバー

 

 

その空き地は

一面 クローバーで覆われていた

 

晴れ渡った夏の日の午後だったと思う

 

年端もゆかぬわたしは

そんな聖域に土足で踏み込み

そんな楽園に身を横たえたのだった

 

あの草いきれ

あの三つ葉の香り

 

蝶は舞っていただろうか

虫は這っていただろうか

探していた四つ葉のクローバーは見つかっただろうか

 

それが さっぱり思い出せないのだ

 

そんなにも はるか昔のことなのだ

 

ただ覚えていることは

あの時 わたしが

天然の臥所(ふしど)に気持ちよく横たわっていたこと

 

そして

まちがいなく

幸福だったこと

 

 

2018年6月14日

2018年6月12日 (火)

時計

時計

 

 

今日 腕時計を買った

 

なぜって?

 

こないだ 腕時計を

どこかで落としてしまったから

 

腕時計と言っても

3千円ほどの使い捨てのやつ

 

4年ほど持つという

 

4年か…

 

これからの4年間

どんなふうになるのだろう?

 

去年は江東区の女宮司が弟に刺殺され

今年は25歳の元アイドル歌手が癌を公表した

 

わたしも去年の夏 病に倒れた

 

まさに 一寸先は闇

 

そもそも 4年後

このわたし この世にいるのだろうか?

 

でも まあ とにかく 時計さん

これから4年 どうぞよろしく

 

頼りにしております

 

2018年6月12日

2018年6月10日 (日)

梅雨

梅雨

 

 

雨 雨 雨…

 

どうしてこうも降り続けるのだろう

 

わたしは知っている

 

この時節は

来たる夏への備えなのだ

あの暑く乾燥した季節への

 

夏ともなれば

人は汗をかき

のどもかわき

水を求めてやまないだろう

 

そのためにも いまのうち

存分に水を味わっておこう

十分に水を含んでおこう

 

こんなに水気を感じられるのも

この雨のシーズンだけ

 

やがて猛烈な暑気と乾燥がやってくる

 

だから いまのうち

存分に水を味わっておこう

十分に水を含んでおこう

梅雨を堪能しておこう

 

 

2018年6月10日

2018年6月 7日 (木)

電車の中で

電車の中で

 

 

文明の進化を感じるときがある

 

たとえば電車の映像広告

 

網棚の上部にズラリと並んでいたポスターの代わりに

たった二つのモニターが

その新鮮な存在を誇示している

 

ニュースや天気予報の合間に

無音声で放映されるCMは

なにげに乗客の目を引きつける

 

また ドアの上方のモニターを見れば

次の停車駅がすぐわかり

現在の時刻も一目瞭然

 

時計をせずに

スマホに頼っているわたしには

おあつらえむきだ

 

ついでに言えば

最近 電車の床に

お洒落な模様が入ってきた

 

乗車するや

どこかの店舗に足を踏み入れたような気分になる

 

文明は進化している

 

利便性と洗練に後押しされながら

 

 

2018年6月7日

2018年6月 5日 (火)

夜の自販機

夜の自販機

 

闇に包まれた歩道で

自動販売機がさびしげに光っている

 

近づいて行って

その前で立ち止まる

 

サンプルのドリンクたちが

煌々と照らされている

 

コインを入れる

やや慎重に

下に落とさないように

 

お目当ての飲料のボタンを押す

やや強く

押し損なわないように

 

ドンという音をたてて

飲み物が落ちる

 

やや取りにくいが

防塵カバーの下から

商品を取り出す

 

街の灯を見るともなく見ながら

ドリンクを飲む

なにげに落ち着かない

 

空き缶ポストに

空き缶を捨てる

 

無言の自販機を後にして

帰途につく

2018年6月5日

2018年5月30日 (水)

摩天楼

摩天楼

 

池袋

サンシャイン60

 

かつては

日本一のノッポビルだった

 

最上階にある展望台から

茫漠たるミニチュアのような地上の光景を眺めたのは

もうずいぶん昔のこと

 

なにやらイモムシのようなものが

ゆっくり這っているかと思いきや

よく見れば

今は無き国鉄103系の山手線であった

 

模型の電車よりもはるかに小さく

くねくねと音もなく走るその姿は

なにかしら奇異な感興を催させた

 

ところで

地上に降り

このビルのふもとのベンチに腰掛けて一服していると

眼前を二人の青年が走り過ぎていった

 

ひとりが つと立ち止まり

大きくのけぞるようにしてビルの頂上を見上げ

感嘆した素振りを見せた

 

上にいても

下にいても

摩天楼は

なにがしかの非日常性で

人の目を楽しませてくれる

2018年5月30日

2018年5月24日 (木)

真昼の公園

真昼の公園

 

その公園は

正午ともなれば

静かなお祭り広場と化すのだった

 

大道芸人や露天商こそいなかったが

いつもきまってどこかから

名も知れぬ老若男女が大勢やって来るのだった

 

ペットボトルのお茶を片手に

群れ集う鳩に餌をやるおじさん

古びたベンチに座って

熱心に新聞を読むおじいさん

どこかの会社員とおぼしき若いカップル…

 

毎日毎日お昼時になると

それら見覚えのある顔が

繰り返し現れるのだった

 

道を挟んで北側に瀟洒な教会があり

公園の中央には一本の大きな木が植わっていた

 

一度その木の枝にとまっていたカラスから

少量のフンを頭にくらったことがある

何かタオルでも買って拭こうと近くの雑貨屋に入って

「カラスにフンをかけられました」と言ったら

「じゃあこれでもどうぞ」とタダで雑巾を一枚手渡されたが

いかにも下町らしい好ましさだと思ったものだ

 

ヒト ハト カラス…

正午ともなれば

さまざまな生き物が

都市の喧騒を逃れ慰安を求めて

その公園にやって来るのだった

2018年5月24日

2018年5月22日 (火)

行かなかった道

行かなかった道

 

 

薄曇りの昼下がり

とある瀟洒な住宅街を彷徨したことがある

 

白壁の洋館の立ち並ぶその端正な街区を

一本の道が貫いていた

 

かなたで上り坂になっていて

その先がどうなっているのか

知りたい気がなくもなかったのだが

行かずじまいになってしまった

 

あの坂を上ったら

もう行き止まりだったのだろうか

それとも

道はまだまだ続いていて

新奇な景観が開けただろうか

 

いま

おぼろな記憶からよみがえってくるのは

仏蘭西菓子マドレーヌのような

スパゲティナポリタンのような

ルビー色したビロードのような

いともシックな家並み

 

そして

先行きのわからない

ミステリアスな

ひともとの道

 

 

2018年5月22日

2018年5月20日 (日)

オリオン座

オリオン座

 

 

ふと見上げた寒天で

ひときわ光彩を放っている三つの星

 

一直線に並んだ

オリオン座のシンボルが

ふたたびわたしの目を惹きつける

 

はるか昔

星座表どおりに並んでいるきらめきを見て

いいしれぬ感動を覚えたものだった

 

時は流れ

地上の諸々は変われども

そして

わたし自身も移ろえども

あの夜空の輝きは

少しも衰えていない

 

ああ 不変不滅のオリオンよ

この世のつかの間の客人たる

このわたし

 

いま

あらためて嘆賞する

 

古代エジプトの時代から

変わらず冬空に君臨し

人々に崇拝され続けてきた

あなたの雄姿を

 

2018年5月20日

2018年5月 8日 (火)

海へ

海へ

 

 

はるか昔

海へと続くひとすじの道を

ひとり歩いたことがある

 

夏だった

ただ大海原見たさに

晴れ渡った青空の下

心地よい微風を肌に感じながら

ややほこりっぽい砂道を

ゆっくりと歩いていった

 

ひなびた茶屋に立ち寄り

薄暗く幽玄な店内でひと息つく

柔和な顔をした老婆の出してくれた

舌触りのよい茶を飲みながら

 

外には人の通う気配もなく

暖簾が少しくはためいているのみ

 

ややあって

店を後にし

ふたたび歩き始める

 

海はもうそこまで迫っていた

 

夏だった

わたしは青空と微風に抱かれていた

そしてしごく若かった

 

 

2018年5月8日

2018年5月 4日 (金)

走るレール

走るレール

 

 

もしもあなたが

電車に乗って

窓外に

線路を認めたなら

そして電車が

一定のスピードを

保ち始めたなら

レールを

じっと見つめてみてください

 

二本の長い長い

平行なレールが

無数の枕木の上を

走りすべっているように

見えることでしょう

 

するとあなたは

ひととき

非日常の世界に

遊ぶことができるでしょう

 

あなたを

没我の境地へと

いざなってくれる

ささやかながら

不思議で新鮮な

あの非日常の世界に

 

 

2018年5月4日

2018年4月23日 (月)

薔薇の涙

薔薇の涙

 

 

出会いは偶然だった

 

雨あがりの昼下がり

通りすがりのわたしの前に現れた

薔薇のひと群れ

 

つつましやかな一輪に

不可思議な力で引き寄せられてみれば

 

薄桃色のかんばせに真珠の涙

薄日に映えるほのかなトーン

 

嘆いているとは思えなかった

さりとて嬉し泣きしているふうでもなく…

 

霊妙なる自然の申し子よ

あなたに虚飾はなかった

 

ああ なんという麗容!

いつまでも色褪せぬ永遠のイメージ

 

 

2018年4月23日

2018年3月29日 (木)

記憶の中の肖像

記憶の中の肖像

 

 

そのご婦人は

どういうわけか

自宅の庭を開放していた

近所の子供たちのために

 

いちどお邪魔したことがある

 

燦燦と降り注ぐ午後の陽光の中で

緑の芝生と白いベンチが

異様に輝いていた

 

先客の見知らぬ子供たちが

天然の絨毯の上で

たのしげに戯れていた

 

ただ不思議なことに

時々姿を現すそのご婦人は

しごく無表情であった

 

彼女のまなざしは

はるか遠くに注がれていて

わたしたちには

なにも関心を示していないかのようだった

 

 

2018年3月29日

2018年3月21日 (水)

ドビュッシーの歌曲

ドビュッシーの歌曲

 

 

あの

朦朧とした趣がいい

 

フランス語はとんとわからないが

それはどうでもいいこと

 

旋律と響きこそは楽曲のいのち

 

優美かつ典雅な歌を

透明なピアノが縁取るとき

わがこころより

おぼろなイマージュが立ちのぼり…

 

今宵また

まなこをとじて

あの恍惚に身をゆだねてみようかしら

 

うたとしらべの妙なる融合がかもしだす

あの不可思議な恍惚に

 

 

2018年3月21日

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